ゴーストインザヘッド

元引きこもりのオタクが送るサブカル・エンタメ系ブログ。マンガ、ラノベ、ゲーム、ガジェットなどを中心に書いていきます。読んだ人をモヤモヤさせることが目標です。

カカシ様

これは私が大学生の頃、今からおよそ8年ほど前に体験した出来事です。
特定を避けるため、地名や人物名は仮名とさせてください。

当時、私は都内の大学に通っており、夏休みを持て余していました。
サークルの友人であるA(同じ大学の男子学生)が、「実家の田舎でちょっとした祭りがあるんだけど、面白いバイトがあるから来ないか?」と誘ってきたのが始まりでした。

「バイトと言っても、祭りの準備を手伝うのと、当日の夜に『留守番』をするだけ。それで3万出るし、飯も酒も出るぞ」
金欠だった私は、その好条件に二つ返事でOKしました。Aの実家は、北関東の山間部、車一台がようやく通れるような細い山道を抜けた先にある、十数軒ほどの小さな集落にありました。

Aの運転する軽自動車でその集落に入った時、最初に感じたのは「違和感」でした。
真夏だというのに、セミの声がほとんど聞こえないのです。その代わり、どこか遠くから、重低音のような「ごぉぉぉ……」という風鳴りのような音が、絶えず響いていました。

Aの実家は、その集落の中でも一際大きな日本家屋でした。
出迎えてくれたAの祖母(以下、バッチャ)は、私を見るなり、少し顔をしかめました。

「A、お前、この子を『マツリ』に入れる気か?」
「いいじゃんバッチャ、人手が足りないんだろ? それにコイツ、口は堅いから」

Aがそう言うと、バッチャは私の顔をじっと凝視し、やがて諦めたように溜息をつきました。

「……塩を持ってきな。あと、絶対に『クラ(蔵)』の方には近づくんじゃないよ」

その日は祭りの準備と言っても、集会場でひたすら奇妙な物体を作らされました。
藁と、泥と、古着を使って、人間大の「人形」を作るのです。
ただ、その人形には「顔」がありませんでした。顔の部分には、半紙に墨でびっしりと何かの経文のような文字が書かれたものが貼られ、その上から赤い紐でグルグル巻きにされていました。

集落の男衆は皆、無言でその作業を行っており、私が「これ、何なんですか?」と聞こうとしても、隣にいたAに肘で小突かれ、「余計なことは聞くな」と目で制されました。

異変が起きたのは、祭りの当日の夜です。

「これから『送り』が始まる。俺たちは本家の座敷で、終わるまで酒でも飲んで待機だ」

Aはそう言い、私を自宅の奥にある座敷へ連れて行きました。
広間の真ん中には豪勢な料理と酒が並べられていましたが、窓はすべて雨戸が閉め切られ、さらにその内側から目張りをするように、白い紙垂が垂れ下がった注連縄が張り巡らされていました。

「いいか、絶対に外を見るなよ。どんな音が聞こえても、誰に呼ばれても、絶対に雨戸を開けるな。トイレも我慢しろ」

Aの真剣な表情に、私はただならぬ雰囲気を感じて頷きました。

時刻が深夜2時を回った頃でしょうか。
外から、あの音が聞こえてきました。

……シャン、シャン、シャン……

鈴の音です。でも、神社の巫女が鳴らすような清らかな音ではありません。もっと鈍く、錆びついた金属同士がぶつかり合うような、不快な音。
それに混じって、大勢の人の足音が聞こえます。

ズッ、ズッ、ズッ、ズッ……

まるで、重い何かを引きずりながら、泥の上を歩いているような音。

Aは顔面蒼白で、震える手で御猪口を握りしめていました。

「……始まった。『カカシ様』のお通りだ」

Aがポツリと漏らしました。

その時でした。
私たちのいる座敷のすぐ外、雨戸一枚隔てた縁側で、音が止まりました。

ピタッ。

静寂が痛いほど耳に刺さります。
次の瞬間。

ドォォォォォォン!!!

雨戸が激しく叩かれました。一度ではありません。

ドンドンドン! ドンドンドンドン!

まるで、無数の拳で乱打されているかのような凄まじい音。家全体が揺れ、鴨居の上の埃が舞い落ちてきました。
私は悲鳴を上げそうになりましたが、Aが私の口を咄嗟に手で塞ぎました。

「声を出すな! 気づかれるぞ!」

そして、叩く音の中に、声が混じり始めました。
それは、昼間に会ったバッチャの声でした。

「Aや、開けておくれ。忘れ物をしたんだよ。Aや、開けておくれ」

いつもの優しいバッチャの声です。私は反射的に立ち上がりかけました。「バッチャさんが締め出されてるんじゃないか?」と。
しかし、Aは必死の形相で私の腕を掴み、首を横に振りました。

「違う! よく聞け! あれはバッチャじゃない!」

よく耳を澄ませました。

「Aや、開けておくれ。Aや、開けておくれ」

抑揚が、全く同じなのです。まるで録音テープを繰り返しているかのように、一言一句、息継ぎのタイミングまで完全に同じ。機械的な、冷たい反復。
それに、バッチャの声の後ろで、微かに聞こえるのです。

……入レロ、入レロ、入レロ……

低く、押し潰されたような、複数の男とも女ともつかない呻き声が。
私は全身の毛が逆立ち、脂汗が止まらなくなりました。これは、洒落にならない。本当にヤバい。

叩く音はさらに激しさを増し、雨戸がミシミシと悲鳴を上げています。

もう駄目だ、入ってくる! 私がパニックになりかけたその時、Aが叫びました。

「神棚の酒だ! 酒を持ってこい!」

私は這うようにして神棚に供えられた一升瓶を取り、Aに渡しました。
Aはその酒を口に含み、雨戸に向かって「ブッ!」と霧状に吹きかけました。
そして大声で何かを叫びました。

「去ね! 去ね! ここは生者の家だ! カカシ様は山へ去ねェ!!」

すると、嘘のように音が止みました。
静寂が戻ってきました。

数分、数十分……どれくらい経ったでしょうか。
私たちは動くこともできず、ただお互いの呼吸音だけを聞いていました。
やがて、遠くから鶏の鳴き声が聞こえ、朝の光が雨戸の隙間から漏れ入ってきた時、ようやくAが重い口を開きました。

「……行ったみたいだ」

私たちは恐る恐る雨戸を開けました。
朝日が眩しく、鳥の声が聞こえる、いつもの穏やかな田舎の風景でした。
しかし、縁側を見た瞬間、私は腰を抜かしました。

縁側の床板に、無数の泥の手形がついていました。
それも、ただの手形ではありません。
大きさも形もバラバラ。子供のような小さな手、異様に指が長い手、爪が剥がれて血が混じったような手。
それらが、雨戸の隙間をこじ開けようとした痕跡として、びっしりと残っていたのです。
そして、その泥の中には、無数の「髪の毛」と「歯」が混ざっていました。

バッチャが裏から回ってきました。彼女は縁側の惨状を見ても動じず、ただ悲しげな顔をしていました。

「……今年は『カカシ様』の飢えが強かったようだね。お前たち、よく耐えたよ」

その後、私は逃げるようにAの運転で東京へ戻りました。
帰りの車中で、Aがポツリポツリと話してくれました。

あの集落では、数十年に一度、山から「悪いモノ」が降りてくるのだそうです。
それを鎮めるために、身代わりとなるカカシ人形を作り、それに集落の厄災や穢れを移して、再び山奥の禁足地へ捨てに行く。それが昨夜の「送り」の儀式でした。

しかし、時折、その「悪いモノ」が人形だけでは満足せず、生きた人間を連れて行こうとすることがある。
昨夜、家に来たのは、人形に入りきらなかった溢れたモノたちだったのだと。

「もし、あの時雨戸を開けていたらどうなってたんだ?」

私が震える声で聞くと、Aはハンドルを握る手を白くさせながら言いました。

「昔、俺の叔父さんが、開けちまったんだ」
「……どうなったの?」
「翌朝、縁側には叔父さんの服だけが残ってた」
「え……」
「それから、服の中に藁がギッシリ詰まってたんだ。泥だらけの藁がな」

私は言葉を失いました。
東京に戻ってからも、しばらくの間、夜になるとあの鈴の音が耳の奥で聞こえるような気がして眠れませんでした。

今でも時々思います。
あの夜、雨戸を叩いていた「バッチャの声をした何か」は、本当に諦めて帰ったのだろうか。
もしかしたら、あの一瞬の隙に、目に見えない何かが、あの部屋に入り込んでいたのではないか。

なぜなら、あの夏以来、Aと連絡が取れなくなってしまったからです。
大学の後期が始まってもAは来ず、アパートに行っても「実家に帰った」と大家に言われました。

心配して実家に電話をかけましたが、電話に出た女性(おそらくバッチャ)は、私の名前を聞くと、急に声を潜めてこう言ったのです。

「Aはね、今、『カカシ様』のお世話で忙しいんだよ。……お前さんも、もう関わらない方がいい。……次は、お前さんの番になりかねないからね」

受話器の向こうから、あの湿ったような、重低音の風鳴りが聞こえた気がして、私は慌てて電話を切りました。
それ以来、私は北関東方面には近づかないようにしています。
もし街中で、泥のような臭いがふわりと漂ってきたら、皆さんも気をつけてください。
決して、振り返ってはいけません。