太宰と芥川
太宰はしばし芥川龍之介と比較されますが、読んでいて「面白い」のは芥川、「刺さる」のは太宰だと個人的に感じています。
極端に言えば、芥川は万人受け、太宰はオタク受けと言い換えても良いかもしれません(個人的な意見です)。
たとえば有名な「人間失格」の中から引用してみましょう。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
太宰治 人間失格 - 青空文庫 より引用
ほら、捻くれたオタクのような感じじゃないですか?
インターネット上にこういう人いっぱいいませんか?!
そこが好きっ!
太宰治 水仙
そんな太宰ですが、私が断トツで好きな作品がこの「水仙」です。
ざっとあらすじを紹介しましょう。
結末まで書いているので一応ネタバレ注意です。
語り手の「私」は小説家。ある日、かつて交流のあった資産家の草田氏が訪ねてくる。
彼の妻、静子が絵画の習い事をはじめ、皆でおだてているうちに「あたしは天才だ」と家を飛び出し、そのまま帰ってこないという。
かつて「私」は、草田氏の家を訪れた際、静子からこっぴどい恥辱を味合わされた。それから草田氏との交流も途絶えていた。
そのことを未だに根に持っていた「私」は、草田氏の訪問から数日後、件の静子が家を訪ねてくるが、彼女の絵を見ることなく冷たく追い返す。
その後静子から独白のような手紙が届き、「私」は彼女が移り住んだ独居アパートを訪れる。
そこには憔悴しきったような彼女の姿があった。草田氏の元へ帰るよう説得するも、帰る資格がないと応える。描いた絵も全て破いて捨てたという。
急に彼女の絵が見たくなった「私」は、彼女が通っていた老画伯のアトリエを訪れた。一枚だけ残っていたという水仙の水彩画を見た「私」は、それをビリビリに破り捨てる。
とこんな感じです。
ネタバレ注意と書いた通り結末までの流れとなります。
まあ特にミステリー作品などは「起きた出来事」が非常に重要ですが、こういった文学作品ではどのように書かれているか──何という言葉を使って、どんな表現で描かれているかってことに注目すると、単純にストーリーだけを追いかける以外の楽しみ方が生まれるかもしれません。
というわけで、ちょっとでも興味を持って頂けたらぜひぜひ読んでみて下さい。
忠直卿行状記
この作品の冒頭では「忠直卿行状記」という作品が紹介されています。
ざっくり内容を紹介すると、剣術の達者な殿様が、家来が「最近はなかなか上達してきてくれたお陰で、負けてあげるのが楽になった」と話しているのを聞いてしまい、狂ってしまうという話です。
「私」──太宰は、殿様が本当に剣術の達人だったのではないか、と考えました。家来の卑しい負け惜しみに揺らいでしまっただけなのではないか、と。
この「忠直卿行状記」と静子夫人の話がリンクしていることで、彼女の行動や感情を色々想像することができるわけです。
ただ、「私」はなぜ彼女の絵を破り捨てたのか、そこに明確な答えは用意されていません。
フランスの評論家ロラン・バルトが提唱した概念に「作者の死」というものがあります。
ざっくり言うと、「一度作者が世に放った時点で、その作品に対して後から作者の意志・支配は及ばない」というような感じです。書いてあることが全て、解釈は全て読者に委ねよ、ってイメージ。
文章は作者の意図に支配されるものではなく、あくまで文章それ自体として解釈すべきという思想を「テクスト論」といい、「作者の死」はこのテクスト論に繋がっていきます(テクスト論にも色々と批判があり絶対ではありません。テクスト論に対し作家と作品を切り離さずに解釈しようとするものを「作品論(作家論)」と言います)。
私はこのテクスト論支持者ですので、絵を破いた理由も、「一人の人間を狂気に陥らせる原因となった絵を根絶やしにしたかった」でも「自身も小説家である「私」が天才芸術家なる存在を無かったことにしたかった」でも「単純に静子を妬んだから」でも「確かにそれなりに巧いが、人の一生を狂わせる程ではない。このようなものは存在しないほうがいいと思ったから」でも、「唯ぼんやりした不安(これは芥川ですが)」でもいいと思うんです。読者が感じて、破綻なく解釈ができることであれば。
だって色んな答えがあったほうが面白くないですか?
人間生きていく中で、明確な「正しい」答えが出せることの方が少ないと思うんです。
それでも自分がこうだ、と思った選択肢を選び続けていくしかない。
そんな人間が書いた小説にも、明確な答えがあるよりも、多用な解釈があって、それを披露したり納得したり反論したりした方が面白い。私はそう思っています。
まとめ
今回取り上げた「水仙」、「人間失格」や「斜陽」などと比べるとあまり有名な作品ではないかもしれませんが、読んでいて不安になったり気持ち悪さを覚えたりする感じが実に私好みでしたので紹介しました。
基本的には軽い、ラノベやエンタメを取り上げていきますが、たまにはこうした古めの小説も記事にしようと思います。
近代日本文学だと実は谷崎潤一郎が一番好きなので(今年(2018年)から青空文庫にも掲載されるようにもなったことですし)、おいおいまた記事にしたいと思います。
というわけで今回はこのへんで~おしまい!
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