映画『セブン』
※※この記事には映画のネタバレが含まれます※※
今回はキリスト教の七つの大罪をモチーフにしたサイコサスペンス映画の名作『セブン』を解説します。
「随分前に一度見たけど時間が経ちすぎてよく覚えていない」という映画、ありますよね? 私はあります。
そういうわけで「昔観た名作映画を10年以上振りにもう一度キャンペーン」を自主的にはじめました。
昔観た名作映画を10年以上振りにもう一度キャンペーン月間を自主的に始めたので今日は「セブン」観ました
— Lord ニルス/九泉似亜 (@nls__) 2018年10月27日
公開されてから20年以上。私が始めて観てからも10年以上経っているこの映画「セブン」を観返したのは、理由がありまして。
映画レビューサイトの歴代ランキングに載っており、「どんな話だっけ」と記事を検索したところ、「真犯人説」なる内容がでてきたんです。
そこで、どんな内容だったか改めて観てみよう、と思い立ち再視聴した、という経緯です。
今回は『セブン』という映画をあらすじや制作陣に触れつつご紹介しながら、最後に「サマセット犯人説」について個人的な見解を述べたいと思います。最後までお付き合い頂けたら幸いです。
映画『セブン』について
ブラッド・ピット主演 × デビッド・フィンチャー監督
モダン・サイコスリラーの傑作
2人の刑事(ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン)が追うのは、怜悧な頭脳を持つしたたかな連続殺人鬼。
男は七つの大罪のいずれかに該当する者を狙い、おぞましい殺人を繰り返していた。
苦痛と絶望が蔓延した、雨のそぼ降る陰鬱な街を舞台に展開される傑作スリラーに、グウィネス・パルトロウも共演。恐怖の本質を知り抜いたデビッド・フィンチャー(『ファイト・クラブ』、『ゾディアック』、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』)が放つ、肉体と精神と魂のアクション。
そして最後には観る者の心を食い破る、驚愕のクライマックスが待つ。
Amazon商品説明より
『セブン』は1995年公開、ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンがコンビとなったクライム・サスペンス作品です。
監督は『ベンジャミン・バトン』『ソーシャル・ネットワーク』などのデヴィッド・フィンチャー。
公開時は4週連続で全米No.1に輝いた大ヒット作品で、海外の映画評価サイト「インターネット・ムービー・データベース」では、『第三の男』や、キューブリックの『シャイニング』を超える評価を得ている名作です。
ストーリーのあらすじはこんな感じです。
ベテラン刑事のサマセット(モーガン・フリーマン)の勤務する刑事課に、喧嘩により転勤となった血気盛んな新人刑事ミルズ(ブラッド・ピット)がやってきた。
サマセットは定年退職まであと一週間。定年後は田舎で暮らそうと考えていた矢先に、信じられないくらい肥満体の男の遺体が発見される。現場には「GLUTTONY(暴食)」の文字が。
この事件を皮切りに、キリスト教の【七つの大罪】をモチーフにした連続見立て殺人が始まった……。
その後「GREED(強欲)」「SLOTH(怠惰)」「LUST(肉欲)」「PRIDE(高慢)」と連続殺人が続く中、犯人とのニアミスもあったが逮捕に至らなかった二人。
しかし5人の遺体が発見された後、「ジョン・ドゥ※」と名乗る犯人は突然警察署に出頭してくる。
そして、ミルズとサマセットの二人のみと行動をともにする条件で、既に殺害した残り2人の遺体の場所に案内すると言う。
二人が案内されたのは電波塔が立ち並ぶ郊外の荒野。
そこへ突然大型のバンがやってくる。
ミルズを犯人の監視に残し、バンに向かうサマセット。運転手は「犯人に500ドルで積荷を頼まれた」と言いダンボール箱を渡してくる。
当然、爆発物を警戒したサマセットだが、思い切って箱だけを開けてみることに。
すると中には、ミルズの奥さんの首が。
衝撃を受けるサマセット。「中身は何なんだ?」と問うミルズ。犯行を得意げに語る犯人。
そしてサマセットの静止も叶わず、ミルズは犯人を射殺してしまう。
犯人の狙いは、ミルズの暮らしに「ENVY(嫉妬)」した自分が「WRATH(憤怒)」のミルズに殺されることで「七つの大罪」が完成することだったのだ。
※ジョン・ドゥ
当ブログでも都市伝説関係の記事に何度か出てきていますが、「ジョン・ドゥ」とは日本で言う「名無しの権兵衛」みたいなものです。女性名だと「ジェーン・ドゥ」になります。
……とこんな感じです。
なお、Wikipediaの記事の「ストーリー」の項には結末までのより詳細なあらすじが載っていますので気になる方はそちらを。
脚本を手がけたアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーについて
監督はデヴィッド・フィンチャーですが、シナリオを手がけたのは『8mm』や『スリーピー・ホロウ』の脚本を担当したアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーです。
彼はこの『セブン』で英国アカデミー賞においてオリジナル脚本賞にノミネートされ一躍脚光を浴びましたが、彼のキャリアは決して華々しいものではありませんでした。
ペンシルベニア州アルトゥーナに生まれ、映画キャリアのためにペンシルベニア州立大学に入学。卒業後は夢を抱いてNYへと移りますが、しかし彼の才能が見出されることはなかなかありませんでした。
タワーレコードの店員として働きながらも脚本を制作し、ついに『セブン』を書き上げた彼はロサンゼルスへと移り、脚本家のデヴィッド・コープ経由でコンタクトを取ったニューライン・シネマが遂に彼の脚本を買い取ってくれます。
この間じつに5年ほど。タワレコの店員として働きながら、いつか見出されることを信じつつも、鬱屈とした思いを抱えていたのでしょう。彼は聖書に始まりダンテの『新曲』やミルトンの『失楽園』などを読み漁り、『セブン』というおぞましい物語を創り上げました。
この『セブン』という映画は、社会から認められない一人の男の怨念とも呼ぶべき想いが詰まった作品なのかもしれません。
サマセット真犯人説について
「映画 セブン」と検索すると「真犯人」とか「考察」などがサジェストとしてヒットしますが、その中でミルズの相棒のベテラン刑事サマセットが真犯人だ! という説が散見されます。
他所様のブログ記事などを拝見したところ、恐らくですが2013年に投稿された「Yahoo! 知恵袋」の内容が発端のようです。
映画セブンの話なんですが
真犯人はモーガンフリーマンじゃないでしょうか?と思います
犯人は赤ちゃんの存在を知っています
ですが本人とモーガンなどしかわからないと思います
そこで犯人はブラッドピットにそのことを伝えると
それを隠していたのをばれたかのように
モーガンは犯人の顔を殴ります。
これはモーガンがなぜ言ったという感情を持って殴ったと思います
そして主人公に犯人を殺させます。
すると7人が完成するわけですが
僕は大罪の人数は八人だったと思います
虚飾です今は7つですがもともと8でした
ですが混ざったとはいえ消えたので自分だけは生きるということで
七人を殺したということだと思います
どうでしょうか?みなさんのお話も聞かせてください
映画セブンの話なんですが真犯人はモーガンフリーマンじゃないで... - Yahoo!知恵袋 より
「七つの大罪は本来①暴食、②強欲、③怠惰、④憂鬱、⑤色欲、⑥放漫、⑦虚飾、⑧憤怒、⑨嫉妬である」という回答などは非常に興味深く、思わずこの説を支持してしまいそうになります。
多くのブログもこの質問と回答の内容をもじったり、独自意見を付け足したりして記事にしています。
しかしながら、タイムリーに見返した私は、この主張の決定的な穴に気付きました。それはこの部分です。
犯人は赤ちゃんの存在を知っています
ですが本人とモーガンなどしかわからないと思います
この「本来トレイシー(ミルズの奥さん)とサマセット(モーガン・フリーマン)しか知らなかったはずの情報を、なぜか犯人が知っていた」という部分が「サマセット刑事真犯人説」のキモとなるはずです。
しかしながら、「箱」が届いた場面で犯人のジョン・ドゥが自ら犯行を語っています。
「トレイシーは命乞いをしてきたよ。お腹に赤ちゃんがいるの!って」と。
その後絶句するミルズと苦々しい顔をするサマセットの顔を見比べ、
「もしかして、(ミルズは子供ができていたことを)知らなかった?」と続きます。
少なくとも犯人の口から、トレイシーの「命乞い」により妊娠の事実を知った、と語られているわけです。これでこの説の根幹が揺らいでしまうと思うんですよね。
ぶっちゃけ「おいおいちゃんと観たのか?」と半分呆れたんですけど、もっと呆れたのはそのままブログ記事にされているものですね。あんまり大きな声じゃ言えないですけど。
七つの大罪は本来九個云々という説も、考察としては個人的に好みです。非常に興味深い。
しかしながらまず『セブン』というタイトルから始まり、登場するビルのナンバーもすべて「7」になっているなど、明らかに「7」という数字がモチーフになっています(参考)。ミスリードのために敢えてだ、という主張は厳しいんじゃないかと。
犯人が「知らなかったの?」と揶揄するように言ったときサマセットが顔をしかめたのも、ミルズのショックがさらに大きくなることを危惧したから、というのが順当な感想ではないでしょうか。
またラストでは結局ミルズがジョン・ドゥを撃ち殺してしまいますが、監督の構想ではサマセット刑事がミルズ刑事の代わりに犯人を撃ち殺すパターンもあったそうです。
またサマセット刑事を主人公としたストーリーでの続編の構想もあったのです。
※この脚本は設定から大幅にリライトされ『ソレス』としてクランクインされました。
www.gizmodo.jp
確かに続編の構想がどうとか、本来の設定がどうとかいうのは、私が支持する「世に出た作品の内容が全て、作者は作品を送り出した時点で死んだものと考える」という「作品論」の立場からすれば蛇足もいいところです。
しかし作品論的立ち位置から考察をしたとしても、正直サマセットがジョン・ドゥを操っていたというのは先述の内容から厳しいように思います。
結論を申し上げると、様々な面から判断して、サマセット(モーガン・フリーマン)が真犯人という説はあり得ない、と私は考えます。